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歴史(筑後川・矢部川)

矢部川の治水事業の歴史

直轄改修工事以前

 矢部川の治水築堤事業については、和銅6年(713)筑後国初代国司となった道君首名が、矢部川の築堤工事を行って、良田を作ったという記録が残っています。
 道君首名は、地域農民を動員して灌漑用溜池用の堤を築造し、開墾して耕作地を拡大しました。河宮野地区で分流した複数の流れになっていたのを、支川を廃川とすることで、耕地化を図ったといわれています。
 本格的に施工が行われたのは慶長年間(1600)以降であり、田中吉政の入府により治水工事が開始されました。元禄8年(1695)に田尻総馬らの手によりその後の水害防備林となり、現在の公園となる「千間土居」が完成しました。
 大正3年から本格的に河川改修工事が開始され、矢部川第1期河川改修工事(福岡県)に着手し、昭和2年に完成しました。その後、昭和3年の出水を契機に、昭和4年に矢部川第2期河川改修工事に着手し、昭和14年に完成しました。また同年に船小屋左岸側に放水路が完成しました。
 また、昭和21年の出水を契機に、昭和25年に矢部川中小河川改修工事に着手し、昭和48年に完成しています。その間、既往最大となる昭和28年の出水を契機に、昭和31年に日向神ダムの整備に着手、昭和35年に完成しました。昭和43年には花宗川中小河川改修工事に着手しています。
年 号 西暦 事          項
寛文4年

弘化元年
1664

1844
矢部川筋井堰は上流から数年〜数十年間隔で両藩が交互に13ヶ所も築造している。
貞享2年

宝暦11年
1685

1761
花宗側筋井堰はこの間に立花藩によって築造されている。
明治38年 1905 6月梅雨前線豪雨により、災害が発生する。
大正2年 1913 矢部川第1期河川改修工事、10ヶ年計画作成(水田村船小屋から河口まで13km、大正3年から実施し、昭和2年竣工)〔現 筑後川船小屋〕
大正10年 1921 6月17日、矢部川、星野川が大洪水に見舞われ、死者17人、負傷者13人、家屋も流失、橋梁・道路は流失、決壊ヶ所が多く見られた。災害復旧工事にあたる。(明治14年に制定された災害復旧制度)
昭和3年 1928 6月梅雨前線により災害が発生する。
尾島・船小屋停車線が竣工する。〔現 筑後市 船小屋停車場線〕
田代・黒木線の道路改修工事が竣工する。〔現 黒木町、岩野・黒木線〕
昭和4年 1929 矢部川第2期河川改修工事、10ヵ年計画作成(水田村船小屋から上妻村祈祷院まで、昭和14年竣工)〔現 筑後市、船小屋停留場/水田線〕
矢部川の船小屋左岸側に放水路が完成し、その上に中ノ島橋が架設される。〔現高瀬町、国道209号の矢部川の放水路の中ノ島橋〕
昭和10年 1935 6月梅雨前線豪雨により災害が発生する。
昭和21年 1946 7月梅雨前線豪雨により災害が発生する。
星野川災害対策工事(星野村、床固工)に着工、竣工する。
昭和22年 1947 横山川災害対策工事(横山村、堰堤工)に着工、竣工する。「23年度完成」
昭和23年 1948 横山川災害対策工事(横山村、堰堤工)に着工、竣工する。「24年度完成」
昭和24年 1949 横山川災害対策工事(横山村、本堤翼工、護岸工)に着工、竣工する。
昭和25年 1950 矢部川中小河川改修工事(立花町白木川吐き口より)着工する。「48年度完成」
昭和28年 1953 6月26日九州地方を襲った梅雨前線豪雨により、河川は氾濫し大洪水となり甚大な被害を被り、災害復旧にあたる。
災害の状況は、死者29人、重・軽傷者209人、家屋全壊・流失154戸、家屋半壊・床上浸水2,557戸、床下浸水9,336戸、非住宅被害933戸、羅災者総数63,042人。(八女地方事務所集計)
矢部川 河川災害助成事業に着工する。「35年完成」
昭和35年 1960 日向神ダムが完成する。「3月完成」
昭和38年 1963 38年災 梅雨前線豪雨による災害が発生する。
昭和43年 1968 花宗川中小河川改修工事(筑後市)に着工する。
昭和44年 1969 山ノ井川災害助成工事(筑後市)に着工し、47年の大雨で上流側堤防が決壊したため工期を延長し竣工する。「50年完成」
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