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歴史(筑後川・矢部川)

筑後川の治水事業の歴史

昭和28年以後の主な治水事業

治水基本計画の策定 昭和28年6月に古今未曾有と称されるほどの大洪水が発生したため、昭和32年にそれまでの計画を見直して、松原・下筌ダムにより秒速2,500立法メートルを調節し、瀬ノ下における計画高水流量を秒速6,500立法メートルとする治水基本計画を策定しました。この計画に基づき引提、分水路、水門の建設が行われました。
工事実施基本計画の策定 昭和40年には新河川法施行に伴い工事実施基本計画を策定しました。そして現在まで昭和47年と平成7年の2度の流量改定(ほかに昭和63年3月と平成6年6月にも部分改定を実施)を経て、計画規模1/150、荒瀬(うきは市、夜明ダム下流)地点において基本高水 秒速10,000立法メートル、上流ダム群において秒速4,000立法メートルカットして計画高水流量を秒速6,000立法メートル、瀬ノ下における計画高水流量を秒速9,000立法メートルとする計画としています。
河川整備基本方針、河川整備計画の策定 河川法の改正に伴い、筑後川の河川整備について長期的な目標を定めた筑後川水系河川整備基本方針が平成15年10月2日に制定されました。また、概ね30年間の具体的な計画を記した筑後川水系河川整備計画が平成18年7月10日に策定されました。
 河川整備基本方針と河川整備計画については「資料室」のページでご紹介しています。
●昭和28年以後の主な治水事業年表
治水事業年 主な事業内容
昭和32年 1957年 昭和28年洪水を契機に「筑後川水系治水基本計画」を策定 (長谷:基本高水流量 秒速8,500立方メートル、計画高水流量 秒速6,000立方メートル)。
昭和33年 1958年 松原ダム、下筌ダムの整備に着手し昭和48年に完成。
昭和40年 1965年 新河川法施行に伴い「筑後川水系工事実施基本計画」を策定 (長谷:基本高水流量 秒速8,500立方メートル、計画高水流量 秒速6,000立方メートル)。
昭和41年 1966年 久留米市東櫛原の引堤に着手。平成5年完成。
昭和48年 1973年 「筑後川水系工事実施基本計画」を改定(夜明:基本高水流量 秒速10,000立法メートル、計画高水流量 秒速6,000立法メートル)。
昭和54年 1979年 原鶴分水路が完成。
昭和55年 1980年 佐賀江川で激甚災害対策特別緊急事業に着手し昭和60年3月に完成。
昭和57年 1982年 昭和55年洪水を契機として蒲田津排水機場の整備に着手。昭和62年蒲田津排水機場が完成。
平成元年 1989年 昭和60年台風13号による高潮を契機として花宗水門の整備に着手。平成14年完成
平成2年 1990年 佐賀江川で2回目の激甚災害対策特別緊急事業に着手し平成7年3月に完成。
平成7年 1995年 「筑後川水系工事実施基本計画」を改定 (荒瀬:基本高水流量 秒速10,000立法メートル、計画高水流量 秒速6,000立法メートル)。
平成15年 2003年 新河川法に基づき「筑後川水系河川整備基本方針」を策定 (荒瀬:基本高水流量 秒速10,000立法メートル、 計画高水流量 秒速6,000立法メートル)。
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